「萌」は個の心に内在する無意識的な美への憧憬が、或るきかっけにより、 何らかの形態を帯びて無意識の内に融合し、それをより高いところへ向けて飛翔させようとする意識を意味します。
「鳴」は、自らの内面を何らかの方法で形象化することを意味します。この話は韓退之の「送孟東野序」の中に使われており、「世の中の総てのものは、まわりからさまざまな影響を受けて鳴り音を立て、思うことがあって詩歌ができ、或る考えが生じて文章になる」ということです。
現在の精神基盤となっている経験であるところの高校時代を、同じ学校で過ごした人々の同窓会は、このようにお互いに何かを意識しつつ向上してゆくための鳴り音になってほしいと思います。